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ヨガを始めてからの個人的な成長記録。
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すっごい久しぶりの更新になっちゃった。

今日は東京ヨガクラス。
今年最後だからなのかな?かなり大人数で、15人位はいたような…。
いつも7~8人でやるのに慣れているから、
今日みたいなクラスだと、かなりエネルギーが(いつもと)違うの。
落ち着かなくってね。
最初は、咳や痰がからむせいだと思っていたんだけど、
休憩の時に一緒に参加していた仲間の1人が
「(大人数だと)イライラして落ち着かない…」
ってボソッと言ったのを聞いて、
「わたしもそれだったんだ!」って初めて意識化できた。

わたし、かなりいい子ちゃんを演じるから…。

もちろんね、本当に親切ないい人のときもあるんだけど、
いい人ぶっているのが、それが「本心」だと自分で勘違いする時がある。
自分で自分に酔ってるんだよね。
で、
今日のその「いつもと違って落ち着かない」っていうのも、
自分で自分に「そんなことを思っちゃいけない」的に諭してたような感じなのね。

そういうことって、日常にもさまざまにワナが仕掛けられている。
実際、新しい職場でも
「新人さん(=わたし)は真面目で、熱心で、冷静で大人で、親切ないい人」というパーソナリティが作り上げられつつあって、
それに対して、「そんな人間できていない」って思うんだけど、
言われていることが「イイコト」なもんだから、
「わたしってそういう人じゃん?」って自分をだまそうとしたりしてさ…。これが「ワルイコト」で形作られていたら、必死で「違います」って言うのかもしれないけれどね。

それともうひとつ、いい子ちゃんと関係するのかもしれないけど、
かなり「イレギュラー」に対して、忍耐強くないということ。
どういうことかというと、
クラスでも、仕事でも、遅刻してくる人とかいるでしょ。(理由はさておき)そういうことに対して、かなり心が柔軟ではないんだなと思った。結構ルールとかきちんと守って、これもいい子ぶってんだろうなぁ。

落ち着かないナって思っている時に限って、
瞑想は結構深くできたりする。
今日もそうだった。
足が痺れても、
「わたしは痛みではない。わたしの本質は肉体ではない」と宣言し、
心のおしゃべりが大きくても、
「わたしは思考ではない。わたしの本質はマインドではない」と宣言し、
しばらくすると、それらはおとなしくなって、
何ともいえない気持ちのいい感覚に包まれた。
でも、タイムアウトが来て、
これも「あぁ…残念…残念」って、執着したくなるくらい、
気持ちが良かった。

どんな変化でも、(大小かかわらず)
「イヤだなぁ」って確実に思っている自分がいるということ。
でも、それにつかまらないようにすれば、
それによってバランスを崩すことはない。
変化自体何かをするということではなくて、
変化に対する、attitudeがポイントなんだなぁ。

真新しいことではないけど、
気づきがあったな。

余談:先生は今日赤いマットを使っていたんだけど、赤のパワーってすごいね。赤に限らず、マットの色で全然放つバイブレーションが違う。
一言目で、「何かいつもと違う」って思って、
話が進むと「選ぶ言葉も違う」って思って、
何でかな?って思ったら、赤いマットのせいだった。
雄弁家みたいな、演説者みたいな感じだった。
如実に表れるんだなぁ。
ということは、自分にもそのように起こるってことなんだなぁ。
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9/30は、東京でのヨガ瞑想クラスだった。

2日前の良い余韻が残っていたので、とっても楽しみだった。
内側でバランスを崩しても、また「しあわせな感覚」を取り戻す。
それがうまくできていたように思う。

わたしは、自分だけでなくほかの人の悲しみや不安を感じ取ってハートが痛くなることがある。場のエネルギーに敏感に反応してしまうこともある。

でも、そういうものなんだ
影響を受けたり、与えたりするのは自然なこと。
時々、自分の体質がいやになることもあるので、それを先生に言われた時に安心した。
特別なことではない。

とにかく穏やかな気持ちが続いている。
いつもいつも自分の「状態」を見つめながら、
ひとつひとつ丁寧に所作を行いたいと思う。
今日も1日、ほんわかした気持ちがずっと続いている。
体に「しあわせな感覚」がしみこむように、
大切に、大切に、過ごしてみた。

「外側で起こっていることが内側でも起こっている」
ということが感覚的にわかった。
だから、外側で起きていることについて、
反応的だった自分を少しゆるめてみてあげたり、
何をやるにしても、「呼吸ひとつぶんの間」を取ってみたり。

すごく穏やか。
こんなカンタンなことだったんだなー。

頭はずっと痛いんだけど、
(きっと、エネルギーがちょっと上に上がってるみたい)
それはそれでいいや。(どうでもいい)
瞑想会の帰り、
わたしはそよ吹く風を体全体に感じながら、
先ほどまで感じていた感覚を自分の中に沁みこませるかのように、
丁寧に、丁寧に、歩いた。
はらはらと頬に涙が流れた。

先生の
「(瞑想会に来る方は)悲しみを抱えている方が多いから、悲しみを感じていても、『だいじょうぶなんだよ』ということをこれから伝えていきたい」というようなお話から始まった。

わたしは昨日まで体に変調をきたしており、
気持ちがとにかく不安定だった。
悲しい気持ちが噴出したり、寂しくて偏屈になったり、
不安で胸が押しつぶされそうになったりしていた。

静かに目を閉じて、呼吸に意識を置いてみる。
涙が流れた。
悲しくて流れる涙ではなくて、安堵感に似たようなものだった。
「外側で起きていることは、内側で起きているということがまだ理解できない」
と思っていたのに、
わたしは目を閉じて、内側に意識を置くだけでただただ涙が出てきた。

この「しあわせな感覚」をどんどん体に沁みこませていくことが本当に大切だと思った。
うまく言葉にはできないけど、
わたしがわたしと「闘わないこと」とか
「争わないこと」で、たとえ一時的にそういう状態になったとしても、
感覚として「平安な気持ち」を覚えていれば、すぐに戻ることができるから。
で、
絶対に「平和な状態」が人として、「あたりまえな姿」なんだ。

この数ヶ月、
気をつけてはいるつもりだったけれど、
ちょっとオーバーヒート気味だったかもしれないな。
「楽しい楽しい」って、すぐにやり過ぎてしまう。(わたし子供だから)
あの、これはパソコンの話。
天秤の分銅がかなりアンバランスになってたかもしれない。

だから、今朝「もう違う環境に移るかも」
と無責任男みたいに書いたけど、
「パソコンはもう満足」ってどこか感じているのかも。

話がそれちゃったけれど、
中心がブレないことが大切なんだ。
ブレても、振り子があんまり揺れないように。
天秤がいい塩梅で静止するみたいな。

そういうことを確認できた。
すごく間があいちゃった。

体調が良くないので、「こりゃあちゃんとクリヤをやっていかないと」と思って、きちんと瞑想に入る準備して、瞑想。

座ってみると、さっきまで「うー」と不快感を感じていたのが嘘みたいに、全然大丈夫…。
てか、問題なくて、結果、今元気取り戻してる。

瞑想中、涙がすーっと流れてきた。
心が動いて。

何も見返りや結果を求めずに、ただただやること。
そういうことに、あっしはあこがれる。
そうありたいと思う。
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