ヨガを始めてからの個人的な成長記録。
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瞑想会の帰り、
わたしはそよ吹く風を体全体に感じながら、
先ほどまで感じていた感覚を自分の中に沁みこませるかのように、
丁寧に、丁寧に、歩いた。
はらはらと頬に涙が流れた。
先生の
「(瞑想会に来る方は)悲しみを抱えている方が多いから、悲しみを感じていても、『だいじょうぶなんだよ』ということをこれから伝えていきたい」というようなお話から始まった。
わたしは昨日まで体に変調をきたしており、
気持ちがとにかく不安定だった。
悲しい気持ちが噴出したり、寂しくて偏屈になったり、
不安で胸が押しつぶされそうになったりしていた。
静かに目を閉じて、呼吸に意識を置いてみる。
涙が流れた。
悲しくて流れる涙ではなくて、安堵感に似たようなものだった。
「外側で起きていることは、内側で起きているということがまだ理解できない」
と思っていたのに、
わたしは目を閉じて、内側に意識を置くだけでただただ涙が出てきた。
この「しあわせな感覚」をどんどん体に沁みこませていくことが本当に大切だと思った。
うまく言葉にはできないけど、
わたしがわたしと「闘わないこと」とか
「争わないこと」で、たとえ一時的にそういう状態になったとしても、
感覚として「平安な気持ち」を覚えていれば、すぐに戻ることができるから。
で、
絶対に「平和な状態」が人として、「あたりまえな姿」なんだ。
この数ヶ月、
気をつけてはいるつもりだったけれど、
ちょっとオーバーヒート気味だったかもしれないな。
「楽しい楽しい」って、すぐにやり過ぎてしまう。(わたし子供だから)
あの、これはパソコンの話。
天秤の分銅がかなりアンバランスになってたかもしれない。
だから、今朝「もう違う環境に移るかも」
と無責任男みたいに書いたけど、
「パソコンはもう満足」ってどこか感じているのかも。
話がそれちゃったけれど、
中心がブレないことが大切なんだ。
ブレても、振り子があんまり揺れないように。
天秤がいい塩梅で静止するみたいな。
そういうことを確認できた。
わたしはそよ吹く風を体全体に感じながら、
先ほどまで感じていた感覚を自分の中に沁みこませるかのように、
丁寧に、丁寧に、歩いた。
はらはらと頬に涙が流れた。
先生の
「(瞑想会に来る方は)悲しみを抱えている方が多いから、悲しみを感じていても、『だいじょうぶなんだよ』ということをこれから伝えていきたい」というようなお話から始まった。
わたしは昨日まで体に変調をきたしており、
気持ちがとにかく不安定だった。
悲しい気持ちが噴出したり、寂しくて偏屈になったり、
不安で胸が押しつぶされそうになったりしていた。
静かに目を閉じて、呼吸に意識を置いてみる。
涙が流れた。
悲しくて流れる涙ではなくて、安堵感に似たようなものだった。
「外側で起きていることは、内側で起きているということがまだ理解できない」
と思っていたのに、
わたしは目を閉じて、内側に意識を置くだけでただただ涙が出てきた。
この「しあわせな感覚」をどんどん体に沁みこませていくことが本当に大切だと思った。
うまく言葉にはできないけど、
わたしがわたしと「闘わないこと」とか
「争わないこと」で、たとえ一時的にそういう状態になったとしても、
感覚として「平安な気持ち」を覚えていれば、すぐに戻ることができるから。
で、
絶対に「平和な状態」が人として、「あたりまえな姿」なんだ。
この数ヶ月、
気をつけてはいるつもりだったけれど、
ちょっとオーバーヒート気味だったかもしれないな。
「楽しい楽しい」って、すぐにやり過ぎてしまう。(わたし子供だから)
あの、これはパソコンの話。
天秤の分銅がかなりアンバランスになってたかもしれない。
だから、今朝「もう違う環境に移るかも」
と無責任男みたいに書いたけど、
「パソコンはもう満足」ってどこか感じているのかも。
話がそれちゃったけれど、
中心がブレないことが大切なんだ。
ブレても、振り子があんまり揺れないように。
天秤がいい塩梅で静止するみたいな。
そういうことを確認できた。
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