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ヨガを始めてからの個人的な成長記録。
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なんだか落ち着かない。

珍しくあんまり眠れなかったせいなのか、
目覚めの悪さが不快感として体と心に残っているようだ。

繊細なエネルギーではなく、
どこかきめの粗い、荒々しいエネルギーを感じる。

マインドは常に不変を求めるが、現実は無常だ。
それが実感としてわかる。
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その袋は、箱と言ってもいいのかもしれない。

それは、このからだのこと。

必要であるときに、この「袋」に空気や食物、水、思考などを取り入れて、利用し、そして(必要なくなったので)出す。

これを繰り返し行っている。

自分のものだと思っていたものは、
実は、借り物であり、
なにひとつ「自分のもの」など存在しない。

今日の瞑想で。

感謝とか
しあわせとか
祈りとか

そういうのは、内側にきちっと存在しており、
そういうバイブレーションというのは、

日常レベルでは、ほとんど感じえないほど繊細です。
ほんまに繊細です。

だからといって、
「あなたの幸せを祈ってマス…」
「ありがとう」
などと言っても無意味ではないのかもしれないけれど、

「やっぱり、それとこれとは別モンだろう」
などと推測してみる。
今日は、浜松で月1回やっているヨガ・瞑想クラスでした。

内容はまた濃くて、充実した時間でした。
参加したお友達も、そういう感じに見えました…。

死体のポーズの時に、あるテクニック(?)を用いました。
「体」と「本質であるわたし」を切り離すことです。
「わたしはからだではない」ということを体験で理解するためのものかな、と思いました。

指示に従って、ひとつひとつの体の部位を「落として」いきます。
わたしは、本当に自分の体が変化したようなイメージでした。最後には、「本質であるわたし」だけが残ります…。

こころもとない感覚がありました。どこか不安を感じていました。

これは、(今感じていることですが)「わたしはからだ」だと思っているからなのかもしれません。

瞑想中、いろいろな場面(主に自然がいっぱいある行ったことある場所)が浮かびました。人の顔も浮かびました。
それは、マインドが作り上げているという感じはしませんでした。感謝の気持ち?なのか、とにかく、涙が流れました。ずっと味わっていたい感覚でしたが、その後は、マインドのおしゃべりが始まってしまいました…。

このごろ感じるのは、
よく「感謝しなさい」とか世間で言われますが、
瞑想中に感じる、いわば無私の状態(じゃないかもしれないけど…)での「湧き上がる感謝の念」というのとは、全然違う!ということです。

たしかに、感謝しないよりもしたほうがいいでしょうが…
「そういうことじゃない!」
って思うのです。

もっともっと自分自身がステップアップしていけるように、また明日からひとりでもしっかりと瞑想をやりたいです。
これまでに2回、地元浜松でヨガと瞑想のクラスをやっていただいた。

「浜松でやってもらおう」と初めにお話していた、以前の職場の上司の男性が、

「わたしは、痛みを感じているからだではない」
「わたしは、おしゃべりをしているこころではない」

という宣言をずっと心の中で反芻しているんだ、とメールをくれた。
もしかしたら、何か言いたかったのかもしれないけれど、内容はそれだけだった。

わたしも、この宣言はとても強烈に感じたし、きっと参加した人のそれぞれの心にいろいろと変化をもたらしたのかなぁと思った。

わたしは環境を準備するだけで、あとは流れていくんだ。
素直に「こういうのっていいなぁ」と思った。
きっと「環境」にひきつけられてくる仲間が増えそうな気がしたから。
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